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200806
#38 データ
- 2008-06-26 (Thu)
- 小説 神様のロトリー
私の名前は牧野博之。
伊豆総合病院に勤務する神経外科医だ。
まだ32歳だけれど、今まで医療ミスは0で、患者からも信頼され、知識も幅広くあり、将来を期待されるホープだ。
今、私は自分の診察室で多くのレントゲン写真、MRI写真、エコー写真などとにらめっこをしている。
私は今日、彼にある悲痛な診断結果を下さなければならない。
私の担当患者に、木下直哉さんという患者がいる。
彼は交通事故に遭って以来、もう半年以上意識が戻っていない。
交通事故の際に負った肝臓や胃の損傷、また全身数箇所の骨折等はすでに完治し、あとは目が覚めるのを待つばかりなのだが、いっこうに彼の意識は戻らない。
意識が戻らない原因が分からないのだ。
確かに彼は交通事故で右側頭部を陥没骨折した。だが、奇跡的に脳に損傷は見られなかった。過去のデータと比べれば、彼の意識は早ければ数日、遅くても数週間以内に目覚めるはずだった。だが、それは間違いだった。
私は、戻らない彼の意識の原因を探るため、国内にいる様々な脳神経外科医に相談を持ちかけた。彼らの多くは、椎骨脳底動脈解離による脳幹梗塞を疑ったが、しかし、今こうして彼の脳の断面図や様々な検査結果を見る限り、その可能性は低い。もしかしたら、事故の衝撃により脳の中にある意識を司る神経が切れてしまった可能性もある。だが、その神経があるとされる部位に傷は見当たらない。
一つだけ、気になる点がある。彼の脳波の波形図をある有名な脳神経外科医に見せたところ、彼の脳波には意識不明時に出される特有の脳波の中に、定期的に睡眠時に出される脳波の波形が混じっているというのだ。それは、彼が夢を見ていることを意味する。
いずれにせよ、このままでは彼の脳の活動は弱まっていってしまうと思い、私は彼に最先端の医療技術である脊髄後索電気刺激手術も行った。成功率40%というこの治療に賭けてみたが、結果は我々の期待に沿うものではなかった。
今、こうして数々の検査結果を見ても、やはり彼の意識が戻らない原因は分からない。
「……………………………………」
私は、机の上にある彼のカルテを取り、歯を強く噛み締めた後、一つ大きくため息をついた。
そして、私は彼のカルテに、「原因不明による遷延性意識障害」と書き込んだ。
遷延性意識障害……俗にいう植物状態のことを指す。
もちろん、だからと言って彼に回復の道が閉ざされたワケではない。
だが…彼の家族にとってこの言葉の意味は、とてつもなく重い。
「……さて…彼の診察の時間だ」
俺はそう言うと、数々の検査結果が記された書類とカルテをファイルにしまい、机の上の聴診器とカバンを持ち、彼の病室へと向かった。
♪〜〜♪〜〜♪〜〜〜〜
彼の病室の前に着くと、中からかすかに音楽が漏れていた。誰かが見舞いに来ているようだ。
トンッ トンッ
「はーーい」
俺がドアをノックすると、中から元気の良い返事が返ってきた。
ガラララララー
「失礼します」
「あ、先生こんにちはー!診察ですか?」
「はい、ちょっと直哉君借りますね」
「はーい」
よく日焼けした男女4人が、直哉君を囲むように椅子に座り、楽しく笑いながら会話をしていた。彼らのことはよく知っている。直哉君のソフトテニス部の後輩たちだ。CDラジカセからはTOMOMIの曲が流れ、更にビデオカメラとケーブルで繋がれたテレビからはソフトテニスの試合の様子が映っていた。
大学が夏休みに入ってから、直哉君のもとには毎日必ず誰かしらが見舞いに来ている。詳しくは知らないが、どうやら彼らは直哉君の友達全員と連絡を取り、交代交代で来れるように予定を組んでいるとのことだ。
どこかで仕入れたのかは知らないが、彼に聴覚・嗅覚・触覚などで刺激を与え続けることが、彼にとっての最大のリハビリだということを知っているらしい。
彼らは部屋に来るとまずTOMOMIのCDをかける。そして楽しく会話しながら彼の好きなフルーツや、はたまたテニスボールの匂いを嗅がせたり、更にはテニスラケットを実際に彼の手に持たせて握らせたりしている。確かに、彼の好きなことを刺激として加えることはとても効果的だ。直哉君の家族も彼らの行動に非常に感謝しているようだ。
智美さんはというと、退院以来忙しい毎日を送っているそうで、昼間から夜の7時までの面会時間内にこの病院に来ることはとても難しいようだった。そこで、私は彼女のために特別に深夜の面会を許可した。
それ以来、彼女は時間が取れ次第、深夜に東京からタクシーで時々この病院に通っているようだ。
先週、直哉君の枕元に未発売のTOMOMIのファーストアルバムが置かれていたコトがあった。どうやら、智美さんが残していったようだ。
彼はたくさんの人に支えられている。
確かに、今はまだ彼らの懸命な努力のおかげか、彼の脳の活動が弱まっている、また弱まり始めたという兆候はない。
だが、私が今日彼に下した遷延性意識障害という診断結果も、まぎれもない現実だ。
私は彼の体温を測るために、彼の耳の穴にそっと機械の測定部分を入れた。
ピッ!
彼の体温は…36.3度。平熱だ。聴診も特に異常はなし。うむ、今日も変化はなし…か。
「それじゃあ私はこれで戻ります。彼のために…本当にありがとうございますね。直哉君、喜んでると思いますよ」
私は彼らにお礼を言った。
「いいんですよ。仲間として当たり前のことしてるだけですから」
「お〜〜〜〜〜!さすが部長!かっこいい事言う!」
「えぇ?だってそうじゃね?」
「絶対今の直哉さん聞いてたら「キモッ!」って心の中で思っ…」
ふふふ。
ガラララララー ガチャ。
俺は心の中で密かに笑いながら、静かにドアを閉めた。
……私の過去の経験と、様々な論文のデータから考えれば、彼の意識が今後、戻る確立は……原因がはっきりしていないから、あくまで憶測にすぎないが、おそらく…15%以下だろう……ところがなんだ。彼らの顔を見てみろ。まったく諦めてなんかいないじゃないか。こういう時、いつも最初に諦めるのは…我々、医者なんだ。…………そうだ。確かに過去のデータから考えれば直哉君の意識が戻るのは難しい。けど、その過去のデータの中に直哉君のデータはない。過去のデータ=直哉君の結果だなんて、いったい誰が決めた?我々が諦めたら、それでおしまいなんだ。我々が、諦めようとしてどうする!諦めたら、もう奇跡は起きないんだ…………よしっ!
俺は、海外の遷延性意識障害に関する論文をもっと探そうと思い、アメリカにいる友人の医師に連絡を取ることにした。
伊豆総合病院に勤務する神経外科医だ。
まだ32歳だけれど、今まで医療ミスは0で、患者からも信頼され、知識も幅広くあり、将来を期待されるホープだ。
今、私は自分の診察室で多くのレントゲン写真、MRI写真、エコー写真などとにらめっこをしている。
私は今日、彼にある悲痛な診断結果を下さなければならない。
私の担当患者に、木下直哉さんという患者がいる。
彼は交通事故に遭って以来、もう半年以上意識が戻っていない。
交通事故の際に負った肝臓や胃の損傷、また全身数箇所の骨折等はすでに完治し、あとは目が覚めるのを待つばかりなのだが、いっこうに彼の意識は戻らない。
意識が戻らない原因が分からないのだ。
確かに彼は交通事故で右側頭部を陥没骨折した。だが、奇跡的に脳に損傷は見られなかった。過去のデータと比べれば、彼の意識は早ければ数日、遅くても数週間以内に目覚めるはずだった。だが、それは間違いだった。
私は、戻らない彼の意識の原因を探るため、国内にいる様々な脳神経外科医に相談を持ちかけた。彼らの多くは、椎骨脳底動脈解離による脳幹梗塞を疑ったが、しかし、今こうして彼の脳の断面図や様々な検査結果を見る限り、その可能性は低い。もしかしたら、事故の衝撃により脳の中にある意識を司る神経が切れてしまった可能性もある。だが、その神経があるとされる部位に傷は見当たらない。
一つだけ、気になる点がある。彼の脳波の波形図をある有名な脳神経外科医に見せたところ、彼の脳波には意識不明時に出される特有の脳波の中に、定期的に睡眠時に出される脳波の波形が混じっているというのだ。それは、彼が夢を見ていることを意味する。
いずれにせよ、このままでは彼の脳の活動は弱まっていってしまうと思い、私は彼に最先端の医療技術である脊髄後索電気刺激手術も行った。成功率40%というこの治療に賭けてみたが、結果は我々の期待に沿うものではなかった。
今、こうして数々の検査結果を見ても、やはり彼の意識が戻らない原因は分からない。
「……………………………………」
私は、机の上にある彼のカルテを取り、歯を強く噛み締めた後、一つ大きくため息をついた。
そして、私は彼のカルテに、「原因不明による遷延性意識障害」と書き込んだ。
遷延性意識障害……俗にいう植物状態のことを指す。
もちろん、だからと言って彼に回復の道が閉ざされたワケではない。
だが…彼の家族にとってこの言葉の意味は、とてつもなく重い。
「……さて…彼の診察の時間だ」
俺はそう言うと、数々の検査結果が記された書類とカルテをファイルにしまい、机の上の聴診器とカバンを持ち、彼の病室へと向かった。
♪〜〜♪〜〜♪〜〜〜〜
彼の病室の前に着くと、中からかすかに音楽が漏れていた。誰かが見舞いに来ているようだ。
トンッ トンッ
「はーーい」
俺がドアをノックすると、中から元気の良い返事が返ってきた。
ガラララララー
「失礼します」
「あ、先生こんにちはー!診察ですか?」
「はい、ちょっと直哉君借りますね」
「はーい」
よく日焼けした男女4人が、直哉君を囲むように椅子に座り、楽しく笑いながら会話をしていた。彼らのことはよく知っている。直哉君のソフトテニス部の後輩たちだ。CDラジカセからはTOMOMIの曲が流れ、更にビデオカメラとケーブルで繋がれたテレビからはソフトテニスの試合の様子が映っていた。
大学が夏休みに入ってから、直哉君のもとには毎日必ず誰かしらが見舞いに来ている。詳しくは知らないが、どうやら彼らは直哉君の友達全員と連絡を取り、交代交代で来れるように予定を組んでいるとのことだ。
どこかで仕入れたのかは知らないが、彼に聴覚・嗅覚・触覚などで刺激を与え続けることが、彼にとっての最大のリハビリだということを知っているらしい。
彼らは部屋に来るとまずTOMOMIのCDをかける。そして楽しく会話しながら彼の好きなフルーツや、はたまたテニスボールの匂いを嗅がせたり、更にはテニスラケットを実際に彼の手に持たせて握らせたりしている。確かに、彼の好きなことを刺激として加えることはとても効果的だ。直哉君の家族も彼らの行動に非常に感謝しているようだ。
智美さんはというと、退院以来忙しい毎日を送っているそうで、昼間から夜の7時までの面会時間内にこの病院に来ることはとても難しいようだった。そこで、私は彼女のために特別に深夜の面会を許可した。
それ以来、彼女は時間が取れ次第、深夜に東京からタクシーで時々この病院に通っているようだ。
先週、直哉君の枕元に未発売のTOMOMIのファーストアルバムが置かれていたコトがあった。どうやら、智美さんが残していったようだ。
彼はたくさんの人に支えられている。
確かに、今はまだ彼らの懸命な努力のおかげか、彼の脳の活動が弱まっている、また弱まり始めたという兆候はない。
だが、私が今日彼に下した遷延性意識障害という診断結果も、まぎれもない現実だ。
私は彼の体温を測るために、彼の耳の穴にそっと機械の測定部分を入れた。
ピッ!
彼の体温は…36.3度。平熱だ。聴診も特に異常はなし。うむ、今日も変化はなし…か。
「それじゃあ私はこれで戻ります。彼のために…本当にありがとうございますね。直哉君、喜んでると思いますよ」
私は彼らにお礼を言った。
「いいんですよ。仲間として当たり前のことしてるだけですから」
「お〜〜〜〜〜!さすが部長!かっこいい事言う!」
「えぇ?だってそうじゃね?」
「絶対今の直哉さん聞いてたら「キモッ!」って心の中で思っ…」
ふふふ。
ガラララララー ガチャ。
俺は心の中で密かに笑いながら、静かにドアを閉めた。
……私の過去の経験と、様々な論文のデータから考えれば、彼の意識が今後、戻る確立は……原因がはっきりしていないから、あくまで憶測にすぎないが、おそらく…15%以下だろう……ところがなんだ。彼らの顔を見てみろ。まったく諦めてなんかいないじゃないか。こういう時、いつも最初に諦めるのは…我々、医者なんだ。…………そうだ。確かに過去のデータから考えれば直哉君の意識が戻るのは難しい。けど、その過去のデータの中に直哉君のデータはない。過去のデータ=直哉君の結果だなんて、いったい誰が決めた?我々が諦めたら、それでおしまいなんだ。我々が、諦めようとしてどうする!諦めたら、もう奇跡は起きないんだ…………よしっ!
俺は、海外の遷延性意識障害に関する論文をもっと探そうと思い、アメリカにいる友人の医師に連絡を取ることにした。
#37 テニスコート
- 2008-06-18 (Wed)
- 小説 神様のロトリー
「それは1994年、11月のある日のこと。ポーランド西部、ドイツとの国境に近いガラセクという町に住むスモラレク・ボルツという名の男性に起きた…………」
サキさんはテレビの画面を眼を大きく見開きながら見ていた。
その話はヨーロッパのポーランドという国で起きた実際の話。
22歳のボルツは仕事場からの帰宅途中、突然、数人の男たちに取り囲まれ、暴行を受けてしまう。彼の容態は酷く、幸い命は取り留めたものの、意識は回復せず、そのまま長い月日が流れた。多くの人は彼の意識はもう戻らないと考えていたが、暴行事件から約2年、彼は突然目を覚ます。
その裏には、彼の家族による懸命な努力があった。
事件から数ヶ月が経った頃、彼の家族は医師から彼の意識に回復の見込みは無いと宣告された。
だが、彼の家族はそのことを信じなかった。
彼の家族は少しでも彼に生きる気持ちを持たせるために、また、絶対に彼の意識を取り戻すために、様々なことをしたという。
毎日のように病院に通い、彼に話しかけ続けた。
彼の好きな音楽を聴かせた。
彼の好きな匂いを嗅がせた。
彼の手足をマッサージし続けた。
要するに、刺激を与え続けたというのだ。
本来ならば、人間の脳は意識不明が3ヶ月以上続くと、徐々に活動を弱めていってしまうと言われている。専門家は、彼の家族の努力が、彼の脳の活動を弱らせることなく、保たせ続けたのではないかと推測した。
ボルツは現在、何不自由なく日常生活を送っているという。
「それでは今日のアンビリーバブーはここまで〜!来週またお会いしましょう!さよーなら〜〜!!」
「……………………………………よしっ!」
サキさんは決心し、携帯電話を取り、部活の後輩に電話を掛けた。
プルルルルル プルルルルル プルル ガチャッ
「あ、もしもし?春樹?佐々木だけど……おう、久し振り。あのさ…春樹、今アンビリーバブー見た?………あ、見てたんだ。なら話が早いや………あのな、悪いんだが…………」
「んじゃあ次、後衛の3本打ちね!はーい、早く前衛と後衛で分かれてー!」
俺の名前は宮崎春樹。
K大学ソフトテニス部部長。
そして、現在部活中。
「最初がクロスで、次逆クロで、最後がトップ打ち!最後は前衛に向かって打てよー!じゃ、始めるぞー!」
部長というのは大変だ。
みんなをまとめなきゃいけないし、後輩には教えないといけないし。
それに、なんだか部長としてのプレッシャーってヤツ?それが重い。
「あー惜しいな!でも良いよ白石!たぶん次は入るぞ!」
直哉さんから部長を引き継ぎ、はや半年。
最初は無事できるのか不安だったけど、まぁ、やればなんとかなるもんで。
任期は残り半年、このまま次の引き継ぎまで、がんばっていこう。
「あー、加奈ちゃん!サーブはもっとできるだけ高い位置から打ったほうがいいよ!その方が入る確立高いから」
昨日、直哉さんの彼女さんがテレビに出ていた。そのたくましい姿に鳥肌が立った。
そして、その次の番組にも、俺は目を奪われた。
ポーランドで起きたという実際の話。
あの話を直哉さんにかさねて見ていた人は、俺だけじゃないはずだ。
「んじゃ、次最後は試合ね!最初こっちのコートは俺・篠原と…あー、本山・宏平で!反対側のコートは女子ね!」
昨日、その番組が終わったあと、サキさんから電話があった。
サキさんも俺と同じコトを考えていた。
果たして、皆が賛成してくれるかどうか…
「んじゃ集合―!」
部活終了の時間となり、春樹の号令でみんなが輪になって集まった。
「えー、それではこれで本日の練習は終わります………が、その前にみんなに一つお願い…というか、提案したいことがあります」
「……………………」
あれ…?なぜだろう…いつもなら「えーなんすかぁ」とか「もしかして金貸してくれとかですか!?」とかふざけたリアクションが返ってくるのに、みんな静かだ。
「えーっと…現1年生はまだ会ったことない人もいると思いますが…この部活の4年に木下直哉さんという先輩がいます。たぶん、一年も誰かしらから聞いたことはあると思うけど…今、静岡の病院に入院してます。もう、4ヶ月ほど意識が戻っていません」
「………………………」
やけに静かだ……もしかして……
「それで…この中で昨日、アンビリーバブー見た人いますか?いたら手を挙げて下さい」
一人、また一人と手を挙げ、なんと最終的にはほぼすべての人が手を挙げた。
やっぱり…みんなも見てたんだ…
「おぉ…みんなも見てたんだ。それなら、もう俺が言いたいこと…分かったかもね。俺たち…この部活のみんなで、昨日の番組と同じコトを、直哉さんにしてあげようと思うんだけど……みんなはどうですか?……もちろん、病院はここから遠いし、電車賃も往復で1000円くらい掛かっちゃうから、無理にとは言いません。志願する人だけで、交代交代でしていこうと思うんだけど……」
「……………………」
誰も口を開かない。やはり、ちょっと無理があったか……
「もちろん、それで直哉さんの意識が戻るっていう保障はどこにもない。けど、俺たちすごいお世話になったじゃんか。俺たちは直哉さんだけではなく、智美さんのためにもやるべきだと思…」
「ちょっといいですか?」
突然、2年の本山が話の途中で割って入ってきた。
「お、おう。どうした本山…?」
「…ていうか春樹さん、もうみんな決めてますよ?」
本山は微笑みながら、そう言った。
「…え?」
春樹はきょとんとしている。
「練習始まる前に2年で集まってそれ話したんですよ。どうすれば俺たちでできるかなって。んで思ったんですけど、この部活車持ってる人5人もいるじゃないですか?車で行けば電車より全然安く行けるし、まぁちょっと行くのに時間掛かるけど。さっき良太(一年)にも聞いたら車出してくれるって言ってたんで、春樹さん、その方が良くないですか?」
「あ……ま、確かにそうだけど…………ていうか、みんな…いつのまに…?」
「部活終わったら先輩達に話そうって俺たちも思ってたんですよ」
本山はそう答えた。
「ていうか、やるなら直哉さんのゼミの友達にも話したほうが良くないですか?できるだけ多くの人でした方が…車もあるかもしれないし」
1年の篠原がそう言った。
「それなら直哉さんの地元の友達も入れたほうがいいよね?直哉さんの親御さんに説明すればたぶん連絡先教えてくれるんじゃない?」
3年の明美がそう言った。
「あ、あたし今度のTOMOMIさんのデビューシングル買おうって思ってるんですよ。持ってって聞かせましょ!」
2年の慶子がそう言った。
「あとなんだろ、直哉さんの好きな匂いって……なんだ?」
2年の小崎がそう言った。
「あ、テニスボールの匂いとか嗅がせてみるのはどう…」
さっきまで静かだったテニスコートが一転、皆が一人の先輩を助けるための作戦作りを騒々しく始めた。結果は…無論、全員参加!
…………こいつら……ふふ、
「お前ら、最高だ」
春樹は、微笑みながらそうつぶやいた。
サキさんはテレビの画面を眼を大きく見開きながら見ていた。
その話はヨーロッパのポーランドという国で起きた実際の話。
22歳のボルツは仕事場からの帰宅途中、突然、数人の男たちに取り囲まれ、暴行を受けてしまう。彼の容態は酷く、幸い命は取り留めたものの、意識は回復せず、そのまま長い月日が流れた。多くの人は彼の意識はもう戻らないと考えていたが、暴行事件から約2年、彼は突然目を覚ます。
その裏には、彼の家族による懸命な努力があった。
事件から数ヶ月が経った頃、彼の家族は医師から彼の意識に回復の見込みは無いと宣告された。
だが、彼の家族はそのことを信じなかった。
彼の家族は少しでも彼に生きる気持ちを持たせるために、また、絶対に彼の意識を取り戻すために、様々なことをしたという。
毎日のように病院に通い、彼に話しかけ続けた。
彼の好きな音楽を聴かせた。
彼の好きな匂いを嗅がせた。
彼の手足をマッサージし続けた。
要するに、刺激を与え続けたというのだ。
本来ならば、人間の脳は意識不明が3ヶ月以上続くと、徐々に活動を弱めていってしまうと言われている。専門家は、彼の家族の努力が、彼の脳の活動を弱らせることなく、保たせ続けたのではないかと推測した。
ボルツは現在、何不自由なく日常生活を送っているという。
「それでは今日のアンビリーバブーはここまで〜!来週またお会いしましょう!さよーなら〜〜!!」
「……………………………………よしっ!」
サキさんは決心し、携帯電話を取り、部活の後輩に電話を掛けた。
プルルルルル プルルルルル プルル ガチャッ
「あ、もしもし?春樹?佐々木だけど……おう、久し振り。あのさ…春樹、今アンビリーバブー見た?………あ、見てたんだ。なら話が早いや………あのな、悪いんだが…………」
「んじゃあ次、後衛の3本打ちね!はーい、早く前衛と後衛で分かれてー!」
俺の名前は宮崎春樹。
K大学ソフトテニス部部長。
そして、現在部活中。
「最初がクロスで、次逆クロで、最後がトップ打ち!最後は前衛に向かって打てよー!じゃ、始めるぞー!」
部長というのは大変だ。
みんなをまとめなきゃいけないし、後輩には教えないといけないし。
それに、なんだか部長としてのプレッシャーってヤツ?それが重い。
「あー惜しいな!でも良いよ白石!たぶん次は入るぞ!」
直哉さんから部長を引き継ぎ、はや半年。
最初は無事できるのか不安だったけど、まぁ、やればなんとかなるもんで。
任期は残り半年、このまま次の引き継ぎまで、がんばっていこう。
「あー、加奈ちゃん!サーブはもっとできるだけ高い位置から打ったほうがいいよ!その方が入る確立高いから」
昨日、直哉さんの彼女さんがテレビに出ていた。そのたくましい姿に鳥肌が立った。
そして、その次の番組にも、俺は目を奪われた。
ポーランドで起きたという実際の話。
あの話を直哉さんにかさねて見ていた人は、俺だけじゃないはずだ。
「んじゃ、次最後は試合ね!最初こっちのコートは俺・篠原と…あー、本山・宏平で!反対側のコートは女子ね!」
昨日、その番組が終わったあと、サキさんから電話があった。
サキさんも俺と同じコトを考えていた。
果たして、皆が賛成してくれるかどうか…
「んじゃ集合―!」
部活終了の時間となり、春樹の号令でみんなが輪になって集まった。
「えー、それではこれで本日の練習は終わります………が、その前にみんなに一つお願い…というか、提案したいことがあります」
「……………………」
あれ…?なぜだろう…いつもなら「えーなんすかぁ」とか「もしかして金貸してくれとかですか!?」とかふざけたリアクションが返ってくるのに、みんな静かだ。
「えーっと…現1年生はまだ会ったことない人もいると思いますが…この部活の4年に木下直哉さんという先輩がいます。たぶん、一年も誰かしらから聞いたことはあると思うけど…今、静岡の病院に入院してます。もう、4ヶ月ほど意識が戻っていません」
「………………………」
やけに静かだ……もしかして……
「それで…この中で昨日、アンビリーバブー見た人いますか?いたら手を挙げて下さい」
一人、また一人と手を挙げ、なんと最終的にはほぼすべての人が手を挙げた。
やっぱり…みんなも見てたんだ…
「おぉ…みんなも見てたんだ。それなら、もう俺が言いたいこと…分かったかもね。俺たち…この部活のみんなで、昨日の番組と同じコトを、直哉さんにしてあげようと思うんだけど……みんなはどうですか?……もちろん、病院はここから遠いし、電車賃も往復で1000円くらい掛かっちゃうから、無理にとは言いません。志願する人だけで、交代交代でしていこうと思うんだけど……」
「……………………」
誰も口を開かない。やはり、ちょっと無理があったか……
「もちろん、それで直哉さんの意識が戻るっていう保障はどこにもない。けど、俺たちすごいお世話になったじゃんか。俺たちは直哉さんだけではなく、智美さんのためにもやるべきだと思…」
「ちょっといいですか?」
突然、2年の本山が話の途中で割って入ってきた。
「お、おう。どうした本山…?」
「…ていうか春樹さん、もうみんな決めてますよ?」
本山は微笑みながら、そう言った。
「…え?」
春樹はきょとんとしている。
「練習始まる前に2年で集まってそれ話したんですよ。どうすれば俺たちでできるかなって。んで思ったんですけど、この部活車持ってる人5人もいるじゃないですか?車で行けば電車より全然安く行けるし、まぁちょっと行くのに時間掛かるけど。さっき良太(一年)にも聞いたら車出してくれるって言ってたんで、春樹さん、その方が良くないですか?」
「あ……ま、確かにそうだけど…………ていうか、みんな…いつのまに…?」
「部活終わったら先輩達に話そうって俺たちも思ってたんですよ」
本山はそう答えた。
「ていうか、やるなら直哉さんのゼミの友達にも話したほうが良くないですか?できるだけ多くの人でした方が…車もあるかもしれないし」
1年の篠原がそう言った。
「それなら直哉さんの地元の友達も入れたほうがいいよね?直哉さんの親御さんに説明すればたぶん連絡先教えてくれるんじゃない?」
3年の明美がそう言った。
「あ、あたし今度のTOMOMIさんのデビューシングル買おうって思ってるんですよ。持ってって聞かせましょ!」
2年の慶子がそう言った。
「あとなんだろ、直哉さんの好きな匂いって……なんだ?」
2年の小崎がそう言った。
「あ、テニスボールの匂いとか嗅がせてみるのはどう…」
さっきまで静かだったテニスコートが一転、皆が一人の先輩を助けるための作戦作りを騒々しく始めた。結果は…無論、全員参加!
…………こいつら……ふふ、
「お前ら、最高だ」
春樹は、微笑みながらそうつぶやいた。
#36 2分47秒
- 2008-06-17 (Tue)
- 小説 神様のロトリー
スタッフからアコースティックギターを受け取り、TOMOMIは直接地面にあぐらを掻いて座った。
スポットライトが眩しい。
そして熱い。まるで真夏の太陽みたいだ。
あまりにも眩しくて、目の前にいるたくさんの人々の顔が霞んで見える。
ここが、あたしがいつも夢見ていた場所。あたしの生きる場所。
緊張感はなぜか消え失せた。なんでだろう、さっきまで感じていたあの緊張はどこへ行ってしまったのだろう。
体が、体がワクワクしている。自分でも信じられないくらいに。自然と笑みがこぼれる。
体の中から湧き上がるこの感覚、なんだか、とても気持ちが良い。
いつまでも感じていたい。ずっと感じていたい。
あ、そうか、これが歌手になったということなんだ。
ふと、TOMOMIは観覧席に目を向けた。
この日のために、わざわざ両親が観覧席に来てくれていた。
父は背筋を真っ直ぐに伸ばし、手を組んで、まるで睨むような強い視線であたしのことを見ていた。
母は、ハンカチで顔を覆っていて、すでに泣いている様子だった。
…ふふ、お母さん泣くの早いよ…あ、そっか。あたしの涙もろさってお母さんに似たんだ。
「それでは…準備が整いましたね。はい、それではTOMOMIで来週発売のデビューシングル「Thank you for…」です。どうぞ」
アナウンサーのその言葉で、TOMOMIに向けられているカメラに赤色のランプが灯り、スタッフから演奏開始を意味する合図が出された。
……直哉………よしっ!
2分47秒にわたるTOMOMIの演奏が、今、始まった。
TOMOMIのアコースティックギターのイントロに続き、エレキギター、ベース、ドラム、エレクトーンが曲を盛り立てる。
だが、あくまで主役はTOMOMIの唄声だ。彼らはTOMOMIの優しく力強い唄声を引き立てるために、あえて少し音は控えめに演奏をする。
曲はサビに入り、時折裏声を混ぜた高いキーの部分を、TOMOMIは目を力強くつむり、体から搾り出すように唄った。
もしかしたら、高いキーを出す部分ではまだ一流の歌手に比べたら劣っているかもしれない。だが、一生懸命に唄うその姿は、テレビの前にいるTOMOMIの過去を知る人々の涙を誘った。
TOMOMIは一生懸命唄った。強い想いが胸の中にあったからか、少し冷静さを欠き、時折、音を少しはずしてしまった。それでも、今のTOMOMIができる最高の演奏を、テレビカメラの向こう側のいる人のため、TOMOMIは最後まで一生懸命唄い切った。
2分47秒はあっという間だった。
曲が終わり、最後にTOMOMIがマイクに向かってそっと「ありがとうございました」と言うと、スタジオ中に大きく拍手が鳴り響いた。
目の前にいる大勢の人々が、今、あたしに向かって拍手をしてくれている。
絶対に、一生忘れられない景色が、そこにはあった。
「CMに入りましたー!」
スタッフの大きな声がスタジオに鳴り響いた。
近くで演奏を見守っていた石川さんがTOMOMIに近寄ってきて、握手を求めた。
TOMOMIは石川さんの手を力強く握り返し、そして、観覧席にいる両親に向かって、一度大きく頭を下げた。
ありがとう…お父さん、お母さん……直哉…
智美と直哉が所属する香川ゼミの同期生8人は、先生同意の上で通常のゼミの講義を欠席し、女子は智美の応援のため東京のテレビ局のスタジオへ、男子は静岡の直哉のもとへと別れて行動していた。
智美には内緒で来ていたため、そして周りには多くの観客がいたため、智美が彼女たちが応援をしに来てくれていたことに気付くことはなかった。
彼女たちは心配であった。もしかしたら唄っている最中に智美は直哉のことを思い出してしまい、泣き出してしまうのではないかと。
しかし、智美が一生懸命に唄う姿を見て、泣き出してしまったのは彼女たち自身であった。
男子が直哉のもとに向かったのには、一つ理由があった。直哉の病室にはテレビがないということを思い出したためだ。それでは、せっかくの智美の晴れ舞台を直哉に聞かせてあげることができない。そのため、男子たちは病院に直接行って、看護士にテレビを病室に置かせてもらうことを交渉するはずだった。
だが、すでに病室には直哉の両親がいて、テレビが設置されていた。どうやら、直哉の両親も同じ事を考えていたそうで、看護士に事情を説明し、テレビを設置してもらっていたらしい。
直哉の両親は直哉に良い友達がいることが嬉しかったようで、その場は友達たちに任せ、自分達は家に帰ってテレビを見ることにした。
やがて番組が始まり、病室内には智美の歌声が響きはじめた。
彼らは智美の歌声で、何か直哉に変化が起きることを心の中で願っていたが、特に何かが起こるコトも無く、番組は終わりを告げた。
彼らは直哉に「今、智美がミュージックエアポートに出てるよ!」と何度も言った。
だが、その声が直哉に届いていたのかどうか、分かる術はなかった。
「智美ちゃん…」
サキさんはベッドの上で一人うなだれ、病院の寄せ書きノートに書かれていた智美の言葉を思い出していた。
直哉に助けてもらったことを無駄にしないことが、あたしが直哉のためにできる一番大切なコト……か……すごいな、智美ちゃんは…。今だって、智美ちゃんの心の中には悲しい気持ちがないわけがないだろう。消えるワケがない。それでも、あんなにがんばってるなんて…………はぁ、俺は直哉のために何もすることができないのか…?
チャンチャカチャンチャカチャンチャンチャン♪
時間は午後の9時を回り、テレビでは新しい番組が始まった。
「超絶体験、アンビリーバブー!さぁ今日のアンビリーバブーは……」
テレビから、いかにも調子に乗っている男の人の声で「アンビリーバブー」と聞こえたため、サキさんは少しイラっとした。
うぜぇ…消すか…
サキさんはそう思い、テーブルの上に置いてあったテレビのリモコンを取った。
「今日のアンビリーバブーは、事件に巻き込まれ2年間も意識不明だった男性が、突然、目覚めたというポーランドで起きた実際の話………」
「…え?」
サキさんは、リモコンの電源ボタンを押すのを止めた。
スポットライトが眩しい。
そして熱い。まるで真夏の太陽みたいだ。
あまりにも眩しくて、目の前にいるたくさんの人々の顔が霞んで見える。
ここが、あたしがいつも夢見ていた場所。あたしの生きる場所。
緊張感はなぜか消え失せた。なんでだろう、さっきまで感じていたあの緊張はどこへ行ってしまったのだろう。
体が、体がワクワクしている。自分でも信じられないくらいに。自然と笑みがこぼれる。
体の中から湧き上がるこの感覚、なんだか、とても気持ちが良い。
いつまでも感じていたい。ずっと感じていたい。
あ、そうか、これが歌手になったということなんだ。
ふと、TOMOMIは観覧席に目を向けた。
この日のために、わざわざ両親が観覧席に来てくれていた。
父は背筋を真っ直ぐに伸ばし、手を組んで、まるで睨むような強い視線であたしのことを見ていた。
母は、ハンカチで顔を覆っていて、すでに泣いている様子だった。
…ふふ、お母さん泣くの早いよ…あ、そっか。あたしの涙もろさってお母さんに似たんだ。
「それでは…準備が整いましたね。はい、それではTOMOMIで来週発売のデビューシングル「Thank you for…」です。どうぞ」
アナウンサーのその言葉で、TOMOMIに向けられているカメラに赤色のランプが灯り、スタッフから演奏開始を意味する合図が出された。
……直哉………よしっ!
2分47秒にわたるTOMOMIの演奏が、今、始まった。
TOMOMIのアコースティックギターのイントロに続き、エレキギター、ベース、ドラム、エレクトーンが曲を盛り立てる。
だが、あくまで主役はTOMOMIの唄声だ。彼らはTOMOMIの優しく力強い唄声を引き立てるために、あえて少し音は控えめに演奏をする。
曲はサビに入り、時折裏声を混ぜた高いキーの部分を、TOMOMIは目を力強くつむり、体から搾り出すように唄った。
もしかしたら、高いキーを出す部分ではまだ一流の歌手に比べたら劣っているかもしれない。だが、一生懸命に唄うその姿は、テレビの前にいるTOMOMIの過去を知る人々の涙を誘った。
TOMOMIは一生懸命唄った。強い想いが胸の中にあったからか、少し冷静さを欠き、時折、音を少しはずしてしまった。それでも、今のTOMOMIができる最高の演奏を、テレビカメラの向こう側のいる人のため、TOMOMIは最後まで一生懸命唄い切った。
2分47秒はあっという間だった。
曲が終わり、最後にTOMOMIがマイクに向かってそっと「ありがとうございました」と言うと、スタジオ中に大きく拍手が鳴り響いた。
目の前にいる大勢の人々が、今、あたしに向かって拍手をしてくれている。
絶対に、一生忘れられない景色が、そこにはあった。
「CMに入りましたー!」
スタッフの大きな声がスタジオに鳴り響いた。
近くで演奏を見守っていた石川さんがTOMOMIに近寄ってきて、握手を求めた。
TOMOMIは石川さんの手を力強く握り返し、そして、観覧席にいる両親に向かって、一度大きく頭を下げた。
ありがとう…お父さん、お母さん……直哉…
智美と直哉が所属する香川ゼミの同期生8人は、先生同意の上で通常のゼミの講義を欠席し、女子は智美の応援のため東京のテレビ局のスタジオへ、男子は静岡の直哉のもとへと別れて行動していた。
智美には内緒で来ていたため、そして周りには多くの観客がいたため、智美が彼女たちが応援をしに来てくれていたことに気付くことはなかった。
彼女たちは心配であった。もしかしたら唄っている最中に智美は直哉のことを思い出してしまい、泣き出してしまうのではないかと。
しかし、智美が一生懸命に唄う姿を見て、泣き出してしまったのは彼女たち自身であった。
男子が直哉のもとに向かったのには、一つ理由があった。直哉の病室にはテレビがないということを思い出したためだ。それでは、せっかくの智美の晴れ舞台を直哉に聞かせてあげることができない。そのため、男子たちは病院に直接行って、看護士にテレビを病室に置かせてもらうことを交渉するはずだった。
だが、すでに病室には直哉の両親がいて、テレビが設置されていた。どうやら、直哉の両親も同じ事を考えていたそうで、看護士に事情を説明し、テレビを設置してもらっていたらしい。
直哉の両親は直哉に良い友達がいることが嬉しかったようで、その場は友達たちに任せ、自分達は家に帰ってテレビを見ることにした。
やがて番組が始まり、病室内には智美の歌声が響きはじめた。
彼らは智美の歌声で、何か直哉に変化が起きることを心の中で願っていたが、特に何かが起こるコトも無く、番組は終わりを告げた。
彼らは直哉に「今、智美がミュージックエアポートに出てるよ!」と何度も言った。
だが、その声が直哉に届いていたのかどうか、分かる術はなかった。
「智美ちゃん…」
サキさんはベッドの上で一人うなだれ、病院の寄せ書きノートに書かれていた智美の言葉を思い出していた。
直哉に助けてもらったことを無駄にしないことが、あたしが直哉のためにできる一番大切なコト……か……すごいな、智美ちゃんは…。今だって、智美ちゃんの心の中には悲しい気持ちがないわけがないだろう。消えるワケがない。それでも、あんなにがんばってるなんて…………はぁ、俺は直哉のために何もすることができないのか…?
チャンチャカチャンチャカチャンチャンチャン♪
時間は午後の9時を回り、テレビでは新しい番組が始まった。
「超絶体験、アンビリーバブー!さぁ今日のアンビリーバブーは……」
テレビから、いかにも調子に乗っている男の人の声で「アンビリーバブー」と聞こえたため、サキさんは少しイラっとした。
うぜぇ…消すか…
サキさんはそう思い、テーブルの上に置いてあったテレビのリモコンを取った。
「今日のアンビリーバブーは、事件に巻き込まれ2年間も意識不明だった男性が、突然、目覚めたというポーランドで起きた実際の話………」
「…え?」
サキさんは、リモコンの電源ボタンを押すのを止めた。
#35 7月
- 2008-06-13 (Fri)
- 小説 神様のロトリー
俺の名前は佐々木誠。大学時代、みんなからはサキ、またはサキさんと呼ばれていた。なんでそんなアダ名になったかと言うと、「さ」が二回続く俺の名字は言いにくい、そして噛みやすいと友達に言われ、佐々木がいつのまにか略されてサキになった。
でも、そんなことは別にどうでもいい。
俺が大学を卒業して、4ヶ月もの月日が流れた。
俺は旅行代理店に就職し、一ヶ月間、東京の本社で研修を行った後、5月から広島市にある支店に配属になった。
広島での生活も、もうすぐ3ヶ月が経とうとしていた。
大学時代の友人たちは、皆、社会に出て「つまらない」「キツい」「しんどい」「就職失敗した」等と言っているけれど、俺はそうは思っていない。
第一志望の会社に就職し、そこでの仕事に特に不安も無く、以前からしてみたいと思っていた職に就けたからだ。まず、やりたい仕事に就けたというだけで、俺はかなり幸せな方だろう。
仕事は満足している。
そう、ただ仕事に関してだけは。
でも、19時になって仕事が終わり、同僚たちと飲みに出かけて、そして酔っ払って自分のアパートに戻った瞬間、どうしても、まず玄関で床に腰を下ろし、ネクタイを投げ捨て、頭を抱えて大きくため息を一つついてしまう。
未だに、直哉は意識が戻らない。
医者は、「彼の脳波は正常です。辛抱強く、彼の意識が戻るのを待ちましょう」と言っているけれど、あまりに時間が経ちすぎている。どことなく「もう彼とは話はできないのではないか」という雰囲気が、大学時代の仲間内には漂い始めていた。
7月29日
今日はいつもより早めに仕事を終わらせ、同僚たちとの飲みの誘いを断り、急いで帰宅した。
スーツを脱いでハンガーに掛け、テレビの電源を入れた。
チャーラーラーラー チャラーラーラーラーラー♪
「さぁ、本日も始まりましたミュージックエアポート!それではゲストの方を紹介していきましょう!」
よかった…なんとか間に合った。
部屋着に着替えた俺は、テレビの画面に食い入るように座布団の上に座った。
ギターのかっこいいメロディと共に、アナウンサーが歌手を一組ずつ紹介してゆく。
紹介された歌手は、ステージ奥に造られた階段を下りながら登場する。
「さあ、続きましては…」
そのアナウンサーの言葉に続き、一人の女性が階段の上に現れた。
「現在、ドラマの主題歌として話題沸騰中の歌手。本日がテレビ初登場、TOMOMIさんです!」
その女性は緊張しているのか、照れ笑いをしながらゆっくりと階段を下り始めた。
階段の両脇に作られた観覧席にいる人たちが、その女性に対して拍手を贈る。
拍手を贈ってくれた観覧席にいる人たちに対して、その女性は大きく頭を下げた。
「智美ちゃん…」
俺は思わずそうつぶやいた。
歌手全員の紹介が終わり、ステージ上には多くの有名な歌手たちが集った。
その中に一人、有名な歌手たちに肩を並べて、少しこわばった顔をしてあきらかに緊張している歌手がいた。
「がんばれ…智美ちゃん」
俺はテレビに向かってそう言った。
GLOY、安室美奈絵という有名な歌手の演奏が終わり、画面の右下に小さく「次はTOMOMI初登場」というテロップが流れ、番組は一旦CMに入った。
あぁ…次かぁ…あー、なんか緊張してきた。
俺は喉の渇きを感じ、冷蔵庫に入っているウーロン茶を取りに行った。コップに注いでテレビの前に戻ると、ちょうどCMが終わった。
「続いて、初登場、TOMOMIさんです」
メーン司会のモリタの声に続き、画面がTOMOMIのアップに変わった。
「初めまして、TOMOMIです。よろしくお願いします」
TOMOMIは元気よくそう言うと、一度カメラに向かって大きく頭を下げた。
きた…
俺はウーロン茶を一口飲んだ。
「えー、それでは始めにTOMOMIさんのご紹介VTRをご覧下さい」
そのアナウンサーの言葉で、画面が切り替わった。
VTRの映像で、TOMOMIは現在大学4年生の21歳。7月から始まった連続ドラマ「FACE」の主題歌に来週発売のファーストシングルが使われていること。自分で作詞作曲を行っているシンガーソングライターであること。今、注目の新人歌手だということが紹介された。
そして、画面が再びTOMOMIに戻った。
「えー…TOMOMIさんは、現在大学生!?」
モリタはTOMOMIにそう話を振った。
「はい、今、大学4年生です」
TOMOMIはそう答えた。
「ほぉ、大学生ですか…すごいですね。学業との両立は大変だと思いますが……えぇ、ご自身で曲を作られるとのことですが…いつ頃からご自身で曲を作られるように……?」
「そう…ですね……作り始めたのは…高校2年生くらいの時からですね…お金を貯めて、アコステ、アコースティックギターを買って…はい、それで自分で作り始めました」
あ…ちょっと噛んだ。でも、うまく誤魔化した。
「ふふっ」と俺は少し笑った
「えー、今月から始まった「FACE」というドラマで、TOMOMIさんの曲が主題歌として使われていると…」
モリタがそう言うと、会場内に拍手が鳴り響いた。
TOMOMIは照れ笑いを浮かべ、
「ありがとうございます」
と頭を下げながら言った。
「えー、今回そのドラマの主題歌…TOMOMIさんのデビュー曲を歌っていただくワケなんですが、この曲はどんな感じの曲なんでしょうか?」
「あ、はい、えー…この曲は…ですね、大切な人に対しての言葉では伝えきれないほどの感謝の気持ちを描いた曲です」
「なるほど……あ、では、TOMOMIさんそろそろスタンバイの方を…お願いします」
「あ、よろしくお願いします!」
頭を下げてそう言いながら、TOMOMIは立ち上がり、観覧席にいる人たちが贈る拍手の中、用意された隣のスタジオに向かって歩いて行った。
あぁ、緊張してるだろうな…がんばれよ、智美ちゃん…がんばれ…
俺はそう思いながら、コップに入っている麦茶を一気に飲み干した。
「それでは…準備が整いましたね。はい、それではTOMOMIで来週発売のデビューシングル「Thank you for…」です。どうぞ」
アナウンサーのその言葉で画面は変わり、紅い花と白い鳥が描かれたアコースティックギターを抱えて、あぐらを掻き直接床に座るTOMOMIの姿が映し出された。
先ほどまでは確かにあった緊張した表情は消え失せ、たくましい歌手としてのTOMOMIの姿が、そこにはあった。
でも、そんなことは別にどうでもいい。
俺が大学を卒業して、4ヶ月もの月日が流れた。
俺は旅行代理店に就職し、一ヶ月間、東京の本社で研修を行った後、5月から広島市にある支店に配属になった。
広島での生活も、もうすぐ3ヶ月が経とうとしていた。
大学時代の友人たちは、皆、社会に出て「つまらない」「キツい」「しんどい」「就職失敗した」等と言っているけれど、俺はそうは思っていない。
第一志望の会社に就職し、そこでの仕事に特に不安も無く、以前からしてみたいと思っていた職に就けたからだ。まず、やりたい仕事に就けたというだけで、俺はかなり幸せな方だろう。
仕事は満足している。
そう、ただ仕事に関してだけは。
でも、19時になって仕事が終わり、同僚たちと飲みに出かけて、そして酔っ払って自分のアパートに戻った瞬間、どうしても、まず玄関で床に腰を下ろし、ネクタイを投げ捨て、頭を抱えて大きくため息を一つついてしまう。
未だに、直哉は意識が戻らない。
医者は、「彼の脳波は正常です。辛抱強く、彼の意識が戻るのを待ちましょう」と言っているけれど、あまりに時間が経ちすぎている。どことなく「もう彼とは話はできないのではないか」という雰囲気が、大学時代の仲間内には漂い始めていた。
7月29日
今日はいつもより早めに仕事を終わらせ、同僚たちとの飲みの誘いを断り、急いで帰宅した。
スーツを脱いでハンガーに掛け、テレビの電源を入れた。
チャーラーラーラー チャラーラーラーラーラー♪
「さぁ、本日も始まりましたミュージックエアポート!それではゲストの方を紹介していきましょう!」
よかった…なんとか間に合った。
部屋着に着替えた俺は、テレビの画面に食い入るように座布団の上に座った。
ギターのかっこいいメロディと共に、アナウンサーが歌手を一組ずつ紹介してゆく。
紹介された歌手は、ステージ奥に造られた階段を下りながら登場する。
「さあ、続きましては…」
そのアナウンサーの言葉に続き、一人の女性が階段の上に現れた。
「現在、ドラマの主題歌として話題沸騰中の歌手。本日がテレビ初登場、TOMOMIさんです!」
その女性は緊張しているのか、照れ笑いをしながらゆっくりと階段を下り始めた。
階段の両脇に作られた観覧席にいる人たちが、その女性に対して拍手を贈る。
拍手を贈ってくれた観覧席にいる人たちに対して、その女性は大きく頭を下げた。
「智美ちゃん…」
俺は思わずそうつぶやいた。
歌手全員の紹介が終わり、ステージ上には多くの有名な歌手たちが集った。
その中に一人、有名な歌手たちに肩を並べて、少しこわばった顔をしてあきらかに緊張している歌手がいた。
「がんばれ…智美ちゃん」
俺はテレビに向かってそう言った。
GLOY、安室美奈絵という有名な歌手の演奏が終わり、画面の右下に小さく「次はTOMOMI初登場」というテロップが流れ、番組は一旦CMに入った。
あぁ…次かぁ…あー、なんか緊張してきた。
俺は喉の渇きを感じ、冷蔵庫に入っているウーロン茶を取りに行った。コップに注いでテレビの前に戻ると、ちょうどCMが終わった。
「続いて、初登場、TOMOMIさんです」
メーン司会のモリタの声に続き、画面がTOMOMIのアップに変わった。
「初めまして、TOMOMIです。よろしくお願いします」
TOMOMIは元気よくそう言うと、一度カメラに向かって大きく頭を下げた。
きた…
俺はウーロン茶を一口飲んだ。
「えー、それでは始めにTOMOMIさんのご紹介VTRをご覧下さい」
そのアナウンサーの言葉で、画面が切り替わった。
VTRの映像で、TOMOMIは現在大学4年生の21歳。7月から始まった連続ドラマ「FACE」の主題歌に来週発売のファーストシングルが使われていること。自分で作詞作曲を行っているシンガーソングライターであること。今、注目の新人歌手だということが紹介された。
そして、画面が再びTOMOMIに戻った。
「えー…TOMOMIさんは、現在大学生!?」
モリタはTOMOMIにそう話を振った。
「はい、今、大学4年生です」
TOMOMIはそう答えた。
「ほぉ、大学生ですか…すごいですね。学業との両立は大変だと思いますが……えぇ、ご自身で曲を作られるとのことですが…いつ頃からご自身で曲を作られるように……?」
「そう…ですね……作り始めたのは…高校2年生くらいの時からですね…お金を貯めて、アコステ、アコースティックギターを買って…はい、それで自分で作り始めました」
あ…ちょっと噛んだ。でも、うまく誤魔化した。
「ふふっ」と俺は少し笑った
「えー、今月から始まった「FACE」というドラマで、TOMOMIさんの曲が主題歌として使われていると…」
モリタがそう言うと、会場内に拍手が鳴り響いた。
TOMOMIは照れ笑いを浮かべ、
「ありがとうございます」
と頭を下げながら言った。
「えー、今回そのドラマの主題歌…TOMOMIさんのデビュー曲を歌っていただくワケなんですが、この曲はどんな感じの曲なんでしょうか?」
「あ、はい、えー…この曲は…ですね、大切な人に対しての言葉では伝えきれないほどの感謝の気持ちを描いた曲です」
「なるほど……あ、では、TOMOMIさんそろそろスタンバイの方を…お願いします」
「あ、よろしくお願いします!」
頭を下げてそう言いながら、TOMOMIは立ち上がり、観覧席にいる人たちが贈る拍手の中、用意された隣のスタジオに向かって歩いて行った。
あぁ、緊張してるだろうな…がんばれよ、智美ちゃん…がんばれ…
俺はそう思いながら、コップに入っている麦茶を一気に飲み干した。
「それでは…準備が整いましたね。はい、それではTOMOMIで来週発売のデビューシングル「Thank you for…」です。どうぞ」
アナウンサーのその言葉で画面は変わり、紅い花と白い鳥が描かれたアコースティックギターを抱えて、あぐらを掻き直接床に座るTOMOMIの姿が映し出された。
先ほどまでは確かにあった緊張した表情は消え失せ、たくましい歌手としてのTOMOMIの姿が、そこにはあった。
#34 メッセージ
- 2008-06-10 (Tue)
- 小説 神様のロトリー
あれ……ヨネクッスの相川…さん…て…どこかで聞いたコトが…………あ、そうだ。確か直哉をスカウトした人だ…。
「あの…間違っていたら申し訳ありません。もしかしたら、直哉をセレクションに呼んでくれた方…ですか?」
智美は相川に尋ねた。
「あ…はい、そうです。私、そのセレクションの監督をやらせていただいた相川と申します。私のことは…えっと、彼から?」
「はい、以前、彼から話を聞きまして…」
「そうですか……」
相川はそう言うと、ベッドの横に置かれてある椅子にゆっくりと腰を下ろし、直哉の状態を確認するためだろうか、心配するような視線で直哉の顔を見た。
この人が直哉の見舞いに来たということは…ヨネクッスも直哉の状態を心配しているということ…だよね……直哉のセレクションの合格は…どうなったんだろう…?
「あの…」
智美が口を開いた。
「…はい、なんでしょう」
「あの…直哉は…セレクションに合格したんですよね…?」
その質問を聞いた相川は、少し間を置き、そして一つ大きく深呼吸をしてから答えた。
「本来なら…まだ彼は大学が一年間残っておりましたので、全日本ソフトテニス協会が指定する特別強化指定選手として、代表選手の強化合宿、日韓交流試合、国際大会などに参加させ、様々な経験を積ませた上で、卒業後、正式にヨネクッスのほうに入団する予定だったんですが…今はまだ分かりませんが、彼のこれからの状態によっては、その予定も変更になってしまうかもしれません…」
「で、でも、先ほど担当医の人が、直哉には障害は残らないと…」
智美はすぐさま相川にそう言い返した。
「…確かに…私も今朝、担当医の方からそういう連絡を受け、ここに来ました。これから担当医の方に彼の状態を詳しく聞かなければはっきりとは言えませんが…。ですが…その、スポーツ選手にとって、一番の敵は怪我です。世界的に見れば…例えばサッカー選手なら、大掛かりな心臓手術を受けたとしても、またサッカー選手にとって最も大切な部分である足首を粉砕骨折したとしても、それでも今現在、一流の選手として活躍している選手もいます。ですが、実はそのような選手はほんの一握りなのです。…大きな怪我をした後、再び表舞台に戻ることができたとしても、かつて以上に活躍することは非常に難しく、多くの選手は引退に追い込まれたり、また、絶対に諦めたくないという気持ちから無理をすることで怪我の再発を誘発し、怪我が慢性化する。これが現実なのです。スポーツ選手にとって、怪我というものは本当にやっかいな存在なのです。彼の怪我は完治はできても、もしかしたら無理をすれば再発するモノなのかもしれない。なので、今の段階では何も言えないのです」
「……………………」
相川の話を聞き、智美は言葉を失った。
…ソフトテニスができる体に戻れたとしても…それは日常レベルの話であって、もし、怪我の影響でこれ以上の上達が見込めなければヨネクッスには入団することはできない…
「直哉…」
か細い声で、智美はそう言葉を漏らした。
「………もう少し…私の話を聞いていただけますか?」
相川が、落ち込みはじめた智美に優しく言った。
「…え?はい…」
智美は相川の顔を見た。
「…彼は…私と最初に会ったのは…私が彼をスカウトした時だと思っているでしょうが…実は、それは違うんです」
「え?」
智美は驚いた。これは、いったい何の話なのだろう…
「私、全日本ソフトテニス連盟にも所属していまして…彼が高校3年生の…インターハイ準決勝の時、あの時…主審をしていたのは、この私なのです」
「…………………主審…?」
智美は、それ以上の言葉がでてこない。
「あの時…彼は惜しくも負けてしまいましたが…私は思いました。彼は、ポテンシャルが非常に高く、これからの努力次第では大きく成長するだろうと。ですが、その後彼は大学5部リーグ…つまりあまりソフトテニスが強いとは言えない大学へと進学したと聞き、私はこれでは彼は育たないのではないかと少し心配していました」
「…………………」
智美は、ただ静かに相川の話を聞いている。
「去年、今回のセレクションに招待する選手を探している中で、偶然、彼をある大会で見つけ、私は驚きました。彼はあの頃に比べて、持ち前の身体能力に、ちゃんとした技術が身に付き始めていた。上達していたのです。…監督も…ちゃんとした指導者もいない環境の中で、いったい彼は誰にソフトテニスを教わっていたのか…」
サキさんだ…。
直哉は、練習の時はいつもサキさんに教わっていたと言っていた…。
そうか…サキさんのおかげで直哉は上手くなれたんだ…
智美はそう思った。
「彼をセレクションに呼ぶことに、一切の迷いはありませんでした。その後、セレクション参加者の名簿を見たとき、インターハイ準決勝の時のメンバーが全員そろっていることに気付き、セレクションの際にあの時と同じ組み合わせで再戦させることにしました。その方が、彼らの実力を見るのが手っ取り早かったからです。…その時の彼のプレーは、私の予想を大きく越えるモノでした。そして、彼らが勝利していた時の喜びっぷりときたら…以前負けた事に因縁でも感じていたのでしょうか、本当に嬉しそうでした」
「あ…彼言ってました。リベンジ果たすことができて良かった…と」
「…はは、やはりそうですか。その時ペアを組んでいた葉山健太と本当に嬉しそうに抱き合ってましたからね。…確かに彼は上手い。ですが、あくまで彼はまだ発展途上です。まだまだ彼より上手い人も多くいます。ですが、彼には世界トップレベルに割って入ることができるポテンシャルを持っている。我々としても、彼を失いたくないし、彼もここで終わらせたいなどとは思っていないはずです。…私は、これから彼を全力でサポートするつもりでいます。ですから清田さん…彼のことはどうぞご安心ください」
相川の話が終わる頃、智美の目頭は熱くなり始めていた。
あはは…だめだ。あたしやっぱり涙もろくなってる…
智美は泣くのをこらえ、相川に向かって頭を深く下げた。
「彼のこと…よろしくお願いします」
「いえ、清田さんも、頑張ってください」
ニコっと微笑みながら、相川はそう智美に返事をした。
「…はい…グスッ」
智美は下げた頭を上げることができない。
「…それでは私は担当医の方に話を伺いに行きますので、これで失礼します」
相川はそう言うと、立ち上がってドアの方へと歩きだした。
「相川さん」
智美が相川を呼び止めた。
「…はい。なんでしょう?」
「……本当に…本当に、ありがとうございます」
智美は頭を下げたまま、相川にそう礼を言った。
「…いえ………それでは、では失礼します」
ガララララー ガチャッ
相川は静かに病室のドアを閉めた。
窓から涼しい風が入り込み、白いカーテンが静かにゆらゆらと揺れている。
ふと、智美はベッドの横にある棚の上に、一冊のノートが置かれているのを見つけ、それを手に取った。
「…………あ…」
ページをめくると、そこには直哉の多くの友達からの寄せ書きが、何ページにも渡って綴られていた。
すごい…こんなにいっぱい…お、サキさんだ…そっか、あたしのトコにも来てたな…サキさん字が汚い…これは…誰だろ地元の友達かな…お、洋子と隆弘…あ、この健太ってあの人のことかな?健太って人もセレクションに合格したんだ…良かった。これは部活の後輩かな?全部でどんくらいあるんだろう…50人くらいかな…。
智美は、直哉のために書かれたメッセージを一つ一つ読んでいく。
…はは、なんだよ直哉、すごいみんなに愛されてるんだね。直哉の体を心配してるのは、あたしだけじゃない。こんなに多くの人が、直哉のことを心配してくれてる…。なんか、ホントに一番心配してるのは、あたしだけのように感じてたな。…小さい世界の中で、一人だけで苦しんでたって感じだね。
智美は直哉の顔をチラッと見た。
多くの人の心配も知らずに、直哉は穏やかな顔をしながら眠っている。
「…しょうがないなぁ、みんなからのメッセージ、読んで聴かせてあげるね」
パラパラ…
えっと…最初はサキさんか。
「えー、まずは、佐々木誠…サキさんだよ。さすが元ペア。来るのが早いね。………字が…汚い…読みづらい(汗)
直哉へ
どあほう、お前ってやろうは…どんだけ…畜生、なんでこんなことに…なんて書いたらいいのかよく分からん。
智美ちゃんを守るために体を盾にするだなんて…やっぱりお前はすげーよ。お前のおかげで智美ちゃんは無事だ。安心しろ。
いいか、こんなトコでくたばんじゃねーぞ!
もし、くたばったりしやがったら…向こうで地獄のようなテニスの練習させてやるからな。覚悟しとけ!
したくないんだったら…ちゃんと帰って来い。
俺はお前がこんなトコでくたばるようなヤツじゃないって知ってる。
だから…頼む、帰ってきてくれ」
…そうですよね、サキさん。本当にむかついて、苦しくて、でもその感情をどこに向けたらいいのか分からなくて、どうしようもなかった。…あたしもそうだった。でも、サキさん、直哉は助かりましたよ。
「えーっと、続いてこれは誰かな?古川…彩?…あー…たぶん、あの時サキさんのとなりにいた女の人かな?てことは直哉の部活の先輩だね。
直哉へ
サキから直哉が事故に遭ったって聞いて、本当に心配になっ……………………………………」
智美はノートに綴られた友達や先輩、後輩からのメッセージを、直哉に届くように一句一句気持ちを込めて読み上げた。
彼らの心から直哉を心配し、励ますメッセージは智美の心までもを励まし、そして元気付けた。
ガラララー
「あ、いたー。清田さん、昼食どうするんですか!?早く食べないとトレイさげちゃいますよ!」
ドアを勢いよく開けたのは、いつもご飯を届けに来る看護士だった。彼女はあたしを探し回ったのだろう、眉間にシワを寄せ、少し怒った感じで智美にそう言った。
そうか…そういえば昼食のことをすっかり忘れていた。なんだか、一気にお腹減った。
「ごめんなさい。今すぐ戻って食べます」
「お願いしますね!」
ガララララー ガチャ
看護士は一言だけそう言い残し、病室のドアを閉めた。
「…………よしっ!」
えっと……ペン、ペン、ペン…は…と…あ、あった。
智美は棚の上に置かれていた一本のボールペンを取り、ノートにメッセージを書き始めた。
直哉へ
直哉に助けてもらったことを無駄にしないことが、あたしが直哉のためにできる一番大切なコトだよね。あたし、たぶんバカだからさ、そんな当たり前のコトに気付くのにこんなに時間が掛かっちゃった。ははは。でもね、ちゃんと気付いたから心配しないで。もう、大丈夫だよ。
早く直哉が元気になるのを心待ちにしてます。また、早く直哉と話がしたいです。笑い合いたいです。でも、今は静かに休んでください。
直哉、本当にありがとう。
「…ありがとう」
そう言って、智美はボールペンのキャップを静かに閉めた。
その日の夜、智美は病院の公衆電話で電話を掛けた。
プルルルルー………プルルルルー………プルッ ガチャ
「あ、もしもし、石川さんですか?清田です。……………はい、あの、退院日が決まりました。二日後です。………………………はい、もう大丈夫です。それでですね…石川さん、退院したら、すぐにボイストレーニングを始めたいんですが…」
「あの…間違っていたら申し訳ありません。もしかしたら、直哉をセレクションに呼んでくれた方…ですか?」
智美は相川に尋ねた。
「あ…はい、そうです。私、そのセレクションの監督をやらせていただいた相川と申します。私のことは…えっと、彼から?」
「はい、以前、彼から話を聞きまして…」
「そうですか……」
相川はそう言うと、ベッドの横に置かれてある椅子にゆっくりと腰を下ろし、直哉の状態を確認するためだろうか、心配するような視線で直哉の顔を見た。
この人が直哉の見舞いに来たということは…ヨネクッスも直哉の状態を心配しているということ…だよね……直哉のセレクションの合格は…どうなったんだろう…?
「あの…」
智美が口を開いた。
「…はい、なんでしょう」
「あの…直哉は…セレクションに合格したんですよね…?」
その質問を聞いた相川は、少し間を置き、そして一つ大きく深呼吸をしてから答えた。
「本来なら…まだ彼は大学が一年間残っておりましたので、全日本ソフトテニス協会が指定する特別強化指定選手として、代表選手の強化合宿、日韓交流試合、国際大会などに参加させ、様々な経験を積ませた上で、卒業後、正式にヨネクッスのほうに入団する予定だったんですが…今はまだ分かりませんが、彼のこれからの状態によっては、その予定も変更になってしまうかもしれません…」
「で、でも、先ほど担当医の人が、直哉には障害は残らないと…」
智美はすぐさま相川にそう言い返した。
「…確かに…私も今朝、担当医の方からそういう連絡を受け、ここに来ました。これから担当医の方に彼の状態を詳しく聞かなければはっきりとは言えませんが…。ですが…その、スポーツ選手にとって、一番の敵は怪我です。世界的に見れば…例えばサッカー選手なら、大掛かりな心臓手術を受けたとしても、またサッカー選手にとって最も大切な部分である足首を粉砕骨折したとしても、それでも今現在、一流の選手として活躍している選手もいます。ですが、実はそのような選手はほんの一握りなのです。…大きな怪我をした後、再び表舞台に戻ることができたとしても、かつて以上に活躍することは非常に難しく、多くの選手は引退に追い込まれたり、また、絶対に諦めたくないという気持ちから無理をすることで怪我の再発を誘発し、怪我が慢性化する。これが現実なのです。スポーツ選手にとって、怪我というものは本当にやっかいな存在なのです。彼の怪我は完治はできても、もしかしたら無理をすれば再発するモノなのかもしれない。なので、今の段階では何も言えないのです」
「……………………」
相川の話を聞き、智美は言葉を失った。
…ソフトテニスができる体に戻れたとしても…それは日常レベルの話であって、もし、怪我の影響でこれ以上の上達が見込めなければヨネクッスには入団することはできない…
「直哉…」
か細い声で、智美はそう言葉を漏らした。
「………もう少し…私の話を聞いていただけますか?」
相川が、落ち込みはじめた智美に優しく言った。
「…え?はい…」
智美は相川の顔を見た。
「…彼は…私と最初に会ったのは…私が彼をスカウトした時だと思っているでしょうが…実は、それは違うんです」
「え?」
智美は驚いた。これは、いったい何の話なのだろう…
「私、全日本ソフトテニス連盟にも所属していまして…彼が高校3年生の…インターハイ準決勝の時、あの時…主審をしていたのは、この私なのです」
「…………………主審…?」
智美は、それ以上の言葉がでてこない。
「あの時…彼は惜しくも負けてしまいましたが…私は思いました。彼は、ポテンシャルが非常に高く、これからの努力次第では大きく成長するだろうと。ですが、その後彼は大学5部リーグ…つまりあまりソフトテニスが強いとは言えない大学へと進学したと聞き、私はこれでは彼は育たないのではないかと少し心配していました」
「…………………」
智美は、ただ静かに相川の話を聞いている。
「去年、今回のセレクションに招待する選手を探している中で、偶然、彼をある大会で見つけ、私は驚きました。彼はあの頃に比べて、持ち前の身体能力に、ちゃんとした技術が身に付き始めていた。上達していたのです。…監督も…ちゃんとした指導者もいない環境の中で、いったい彼は誰にソフトテニスを教わっていたのか…」
サキさんだ…。
直哉は、練習の時はいつもサキさんに教わっていたと言っていた…。
そうか…サキさんのおかげで直哉は上手くなれたんだ…
智美はそう思った。
「彼をセレクションに呼ぶことに、一切の迷いはありませんでした。その後、セレクション参加者の名簿を見たとき、インターハイ準決勝の時のメンバーが全員そろっていることに気付き、セレクションの際にあの時と同じ組み合わせで再戦させることにしました。その方が、彼らの実力を見るのが手っ取り早かったからです。…その時の彼のプレーは、私の予想を大きく越えるモノでした。そして、彼らが勝利していた時の喜びっぷりときたら…以前負けた事に因縁でも感じていたのでしょうか、本当に嬉しそうでした」
「あ…彼言ってました。リベンジ果たすことができて良かった…と」
「…はは、やはりそうですか。その時ペアを組んでいた葉山健太と本当に嬉しそうに抱き合ってましたからね。…確かに彼は上手い。ですが、あくまで彼はまだ発展途上です。まだまだ彼より上手い人も多くいます。ですが、彼には世界トップレベルに割って入ることができるポテンシャルを持っている。我々としても、彼を失いたくないし、彼もここで終わらせたいなどとは思っていないはずです。…私は、これから彼を全力でサポートするつもりでいます。ですから清田さん…彼のことはどうぞご安心ください」
相川の話が終わる頃、智美の目頭は熱くなり始めていた。
あはは…だめだ。あたしやっぱり涙もろくなってる…
智美は泣くのをこらえ、相川に向かって頭を深く下げた。
「彼のこと…よろしくお願いします」
「いえ、清田さんも、頑張ってください」
ニコっと微笑みながら、相川はそう智美に返事をした。
「…はい…グスッ」
智美は下げた頭を上げることができない。
「…それでは私は担当医の方に話を伺いに行きますので、これで失礼します」
相川はそう言うと、立ち上がってドアの方へと歩きだした。
「相川さん」
智美が相川を呼び止めた。
「…はい。なんでしょう?」
「……本当に…本当に、ありがとうございます」
智美は頭を下げたまま、相川にそう礼を言った。
「…いえ………それでは、では失礼します」
ガララララー ガチャッ
相川は静かに病室のドアを閉めた。
窓から涼しい風が入り込み、白いカーテンが静かにゆらゆらと揺れている。
ふと、智美はベッドの横にある棚の上に、一冊のノートが置かれているのを見つけ、それを手に取った。
「…………あ…」
ページをめくると、そこには直哉の多くの友達からの寄せ書きが、何ページにも渡って綴られていた。
すごい…こんなにいっぱい…お、サキさんだ…そっか、あたしのトコにも来てたな…サキさん字が汚い…これは…誰だろ地元の友達かな…お、洋子と隆弘…あ、この健太ってあの人のことかな?健太って人もセレクションに合格したんだ…良かった。これは部活の後輩かな?全部でどんくらいあるんだろう…50人くらいかな…。
智美は、直哉のために書かれたメッセージを一つ一つ読んでいく。
…はは、なんだよ直哉、すごいみんなに愛されてるんだね。直哉の体を心配してるのは、あたしだけじゃない。こんなに多くの人が、直哉のことを心配してくれてる…。なんか、ホントに一番心配してるのは、あたしだけのように感じてたな。…小さい世界の中で、一人だけで苦しんでたって感じだね。
智美は直哉の顔をチラッと見た。
多くの人の心配も知らずに、直哉は穏やかな顔をしながら眠っている。
「…しょうがないなぁ、みんなからのメッセージ、読んで聴かせてあげるね」
パラパラ…
えっと…最初はサキさんか。
「えー、まずは、佐々木誠…サキさんだよ。さすが元ペア。来るのが早いね。………字が…汚い…読みづらい(汗)
直哉へ
どあほう、お前ってやろうは…どんだけ…畜生、なんでこんなことに…なんて書いたらいいのかよく分からん。
智美ちゃんを守るために体を盾にするだなんて…やっぱりお前はすげーよ。お前のおかげで智美ちゃんは無事だ。安心しろ。
いいか、こんなトコでくたばんじゃねーぞ!
もし、くたばったりしやがったら…向こうで地獄のようなテニスの練習させてやるからな。覚悟しとけ!
したくないんだったら…ちゃんと帰って来い。
俺はお前がこんなトコでくたばるようなヤツじゃないって知ってる。
だから…頼む、帰ってきてくれ」
…そうですよね、サキさん。本当にむかついて、苦しくて、でもその感情をどこに向けたらいいのか分からなくて、どうしようもなかった。…あたしもそうだった。でも、サキさん、直哉は助かりましたよ。
「えーっと、続いてこれは誰かな?古川…彩?…あー…たぶん、あの時サキさんのとなりにいた女の人かな?てことは直哉の部活の先輩だね。
直哉へ
サキから直哉が事故に遭ったって聞いて、本当に心配になっ……………………………………」
智美はノートに綴られた友達や先輩、後輩からのメッセージを、直哉に届くように一句一句気持ちを込めて読み上げた。
彼らの心から直哉を心配し、励ますメッセージは智美の心までもを励まし、そして元気付けた。
ガラララー
「あ、いたー。清田さん、昼食どうするんですか!?早く食べないとトレイさげちゃいますよ!」
ドアを勢いよく開けたのは、いつもご飯を届けに来る看護士だった。彼女はあたしを探し回ったのだろう、眉間にシワを寄せ、少し怒った感じで智美にそう言った。
そうか…そういえば昼食のことをすっかり忘れていた。なんだか、一気にお腹減った。
「ごめんなさい。今すぐ戻って食べます」
「お願いしますね!」
ガララララー ガチャ
看護士は一言だけそう言い残し、病室のドアを閉めた。
「…………よしっ!」
えっと……ペン、ペン、ペン…は…と…あ、あった。
智美は棚の上に置かれていた一本のボールペンを取り、ノートにメッセージを書き始めた。
直哉へ
直哉に助けてもらったことを無駄にしないことが、あたしが直哉のためにできる一番大切なコトだよね。あたし、たぶんバカだからさ、そんな当たり前のコトに気付くのにこんなに時間が掛かっちゃった。ははは。でもね、ちゃんと気付いたから心配しないで。もう、大丈夫だよ。
早く直哉が元気になるのを心待ちにしてます。また、早く直哉と話がしたいです。笑い合いたいです。でも、今は静かに休んでください。
直哉、本当にありがとう。
「…ありがとう」
そう言って、智美はボールペンのキャップを静かに閉めた。
その日の夜、智美は病院の公衆電話で電話を掛けた。
プルルルルー………プルルルルー………プルッ ガチャ
「あ、もしもし、石川さんですか?清田です。……………はい、あの、退院日が決まりました。二日後です。………………………はい、もう大丈夫です。それでですね…石川さん、退院したら、すぐにボイストレーニングを始めたいんですが…」
#33 右手
- 2008-06-05 (Thu)
- 小説 神様のロトリー
智美が乗った車椅子を、牧野が押していく。
ゆっくりと、智美は直哉のいる病室に近づいてゆく。
あぁ…なんでだろう、直哉に会える日をあれほど心待ちにしていたはずなのに、心にプレッシャーを感じる…なんだろうこの気持ち…罪悪感…?…ははは、たぶんそうだろな。なんで今更…でも、当たり前か…
やがて、智美が乗った車椅子はある部屋の前で止まった。
その部屋のドアの横の壁には、「木下直哉」と書かれたプレートが掛けられている。
「ここです」
「…………はい」
ここに…直哉が…
智美は心臓の鼓動が、どんどん早くなってゆくのを感じた。
ガララララー…
牧野は部屋のドアを開け、そして智美の乗っている車椅子を押して、病室内へと入った。
「………直哉……」
智美が見た直哉は、頭に包帯を幾重にも巻かれていて、その姿は見ていて少し痛々しいけれども、表情はとても穏やかで、いつも智美が見る寝ているときの直哉の顔そのものだった。
傷が痛くて苦しいなどの感情は一切表情にでていない。どちらかと言えば、なぜか満足そうな微笑ましい表情をして、ただ、穏やかに直哉は眠っていた。
直哉!と呼べば、すぐにでも目を覚ましてくれそうな、そんな気がする。
牧野は智美が乗っている車椅子をベットの横につけた。
智美は、そっと直哉の頬に触れた。
暖かい…直哉の体温が暖かい…
「スー、スー」と直哉が呼吸をする音が聞こえる。
しっかりと…直哉はがんばって生きようとしている…良かった…
智美はそっと微笑んだ。
「本当に、彼は運の強い人間です」
そう、牧野が智美に向かって言った。
「運が強い…ですか?」
智美は牧野に聞き返した。
「はい。…本来なら、彼の怪我は脊髄や脳を傷つけて、体に障害が残ったとしてもおかしくない程の怪我でした。ところが、彼には脳や脊髄、また、主な筋肉、靭帯に全く損傷がない。事故の衝撃は、体の大切な場所をすり抜けた、本当にそう言えるんです。まるで何かに守られているとしか説明がつきません。私、これまで医者を10年してきましたが、このようなケースは初めてです。本当に、彼は運が強い」
脊髄や脳に…傷がない…?ということは…
「彼…ソフトテニスの選手なんです。また…前と同じように…彼はテニスができますか?」
智美は牧野の目を見ながら聞いた。
できることなら、直哉には前と同じように思いっきりソフトテニスをして欲しい。彼は本当にソフトテニスが好きだし、これからもしたいと願うはずだ。それに…セレクションの合格が…
牧野はニコっと微笑み、智美の質問に答えた。
「大丈夫ですよ。恐らく、ある程度のリハビリは必要になると思いますが…体に障害は残りません。運動能力は、以前と同じまでに回復するでしょう」
「…へへ、だってさ、直哉。良かったね。またソフトテニスできるよ」
そう言いながら、智美は直哉の頬を指で突っついた。
そんな智美の様子を見た牧野は一つ頷き、智美の背後で一人で静かに微笑んだ。
「それでは私は他の患者の診察がありますので戻りますが…清田さんはまだここにいますか?」
「あ、はい。もう少しここにいます。一人で戻れるので大丈夫です」
「そうですか。分かりました。では、何かありましたらすぐそこにナースセンターがありますので、そちらの方に言っていただければ」
「はい、分かりました。本当にありがとうございました」
智美は牧野に向かって頭を下げた。
「いえいえ。それでは、私はこれで失礼します」
ガララララー ガチャッ
牧野は病室から出て行き、病室内は智美と直哉の二人きりとなった。
智美は直哉の右手を両手で握った。
「直哉…」
ねぇ、いつ目覚めるの…?
ふと、智美は直哉の右手の手のひらに、ザラザラしたものがあるのを感じた。
豆だ。
ソフトテニスの練習でできた豆。
右の手のひらの所々が、まるで硬いゴムのように固まっている。
…知らなかったな…そうか、いつも手を繋ぐときって、直哉の左手とあたしの右手だったしね…こんな右手してたんだ。
直哉の右手は、長年のソフトテニスの練習で、全体的に皮膚が硬く、腫れぼったくなっていた。
だから、いつもあたしと手を繋ぐときって、直哉は左手だったのかな…?いや、たまたまかな…。
トンッ トンッ
誰かがドアをノックした。
誰だろう?看護士かな?あ、もしかして、直哉の家族??だったら緊張するな…
「…はい。どうぞ」
ガラララー
「あ、すみません、お邪魔…ですか?」
「…あー、いえいえ、どうぞお入りください」
直哉の病室を訪れたのは、スーツ姿で、少し色黒で体格がしっかりした男の人だった。誰だろう…あまり顔は直哉に似ていないけれど、親戚の人だろうか。
「もしかして…あなたが清田智美さん…でしょうか?」
そのスーツ姿の男の人が、智美に尋ねてきた。
「はい。そうですが…あなたは?」
「あー、えっと私、こういう者です」
スーツ姿の男はスーツの内ポケットから名刺を取り出し、智美に差し出した。
「あ…はい」
智美は名刺を受け取り、目を通した。
そこには書かれていたのは
「株式会社ヨネクッス ソフトテニス商品開発部・新人採用担当 相川秀樹」(第6・9話参照)
ゆっくりと、智美は直哉のいる病室に近づいてゆく。
あぁ…なんでだろう、直哉に会える日をあれほど心待ちにしていたはずなのに、心にプレッシャーを感じる…なんだろうこの気持ち…罪悪感…?…ははは、たぶんそうだろな。なんで今更…でも、当たり前か…
やがて、智美が乗った車椅子はある部屋の前で止まった。
その部屋のドアの横の壁には、「木下直哉」と書かれたプレートが掛けられている。
「ここです」
「…………はい」
ここに…直哉が…
智美は心臓の鼓動が、どんどん早くなってゆくのを感じた。
ガララララー…
牧野は部屋のドアを開け、そして智美の乗っている車椅子を押して、病室内へと入った。
「………直哉……」
智美が見た直哉は、頭に包帯を幾重にも巻かれていて、その姿は見ていて少し痛々しいけれども、表情はとても穏やかで、いつも智美が見る寝ているときの直哉の顔そのものだった。
傷が痛くて苦しいなどの感情は一切表情にでていない。どちらかと言えば、なぜか満足そうな微笑ましい表情をして、ただ、穏やかに直哉は眠っていた。
直哉!と呼べば、すぐにでも目を覚ましてくれそうな、そんな気がする。
牧野は智美が乗っている車椅子をベットの横につけた。
智美は、そっと直哉の頬に触れた。
暖かい…直哉の体温が暖かい…
「スー、スー」と直哉が呼吸をする音が聞こえる。
しっかりと…直哉はがんばって生きようとしている…良かった…
智美はそっと微笑んだ。
「本当に、彼は運の強い人間です」
そう、牧野が智美に向かって言った。
「運が強い…ですか?」
智美は牧野に聞き返した。
「はい。…本来なら、彼の怪我は脊髄や脳を傷つけて、体に障害が残ったとしてもおかしくない程の怪我でした。ところが、彼には脳や脊髄、また、主な筋肉、靭帯に全く損傷がない。事故の衝撃は、体の大切な場所をすり抜けた、本当にそう言えるんです。まるで何かに守られているとしか説明がつきません。私、これまで医者を10年してきましたが、このようなケースは初めてです。本当に、彼は運が強い」
脊髄や脳に…傷がない…?ということは…
「彼…ソフトテニスの選手なんです。また…前と同じように…彼はテニスができますか?」
智美は牧野の目を見ながら聞いた。
できることなら、直哉には前と同じように思いっきりソフトテニスをして欲しい。彼は本当にソフトテニスが好きだし、これからもしたいと願うはずだ。それに…セレクションの合格が…
牧野はニコっと微笑み、智美の質問に答えた。
「大丈夫ですよ。恐らく、ある程度のリハビリは必要になると思いますが…体に障害は残りません。運動能力は、以前と同じまでに回復するでしょう」
「…へへ、だってさ、直哉。良かったね。またソフトテニスできるよ」
そう言いながら、智美は直哉の頬を指で突っついた。
そんな智美の様子を見た牧野は一つ頷き、智美の背後で一人で静かに微笑んだ。
「それでは私は他の患者の診察がありますので戻りますが…清田さんはまだここにいますか?」
「あ、はい。もう少しここにいます。一人で戻れるので大丈夫です」
「そうですか。分かりました。では、何かありましたらすぐそこにナースセンターがありますので、そちらの方に言っていただければ」
「はい、分かりました。本当にありがとうございました」
智美は牧野に向かって頭を下げた。
「いえいえ。それでは、私はこれで失礼します」
ガララララー ガチャッ
牧野は病室から出て行き、病室内は智美と直哉の二人きりとなった。
智美は直哉の右手を両手で握った。
「直哉…」
ねぇ、いつ目覚めるの…?
ふと、智美は直哉の右手の手のひらに、ザラザラしたものがあるのを感じた。
豆だ。
ソフトテニスの練習でできた豆。
右の手のひらの所々が、まるで硬いゴムのように固まっている。
…知らなかったな…そうか、いつも手を繋ぐときって、直哉の左手とあたしの右手だったしね…こんな右手してたんだ。
直哉の右手は、長年のソフトテニスの練習で、全体的に皮膚が硬く、腫れぼったくなっていた。
だから、いつもあたしと手を繋ぐときって、直哉は左手だったのかな…?いや、たまたまかな…。
トンッ トンッ
誰かがドアをノックした。
誰だろう?看護士かな?あ、もしかして、直哉の家族??だったら緊張するな…
「…はい。どうぞ」
ガラララー
「あ、すみません、お邪魔…ですか?」
「…あー、いえいえ、どうぞお入りください」
直哉の病室を訪れたのは、スーツ姿で、少し色黒で体格がしっかりした男の人だった。誰だろう…あまり顔は直哉に似ていないけれど、親戚の人だろうか。
「もしかして…あなたが清田智美さん…でしょうか?」
そのスーツ姿の男の人が、智美に尋ねてきた。
「はい。そうですが…あなたは?」
「あー、えっと私、こういう者です」
スーツ姿の男はスーツの内ポケットから名刺を取り出し、智美に差し出した。
「あ…はい」
智美は名刺を受け取り、目を通した。
そこには書かれていたのは
「株式会社ヨネクッス ソフトテニス商品開発部・新人採用担当 相川秀樹」(第6・9話参照)
#32 車椅子
- 2008-06-04 (Wed)
- 小説 神様のロトリー
4月9日 AM11:27
またまた、智美は窓から外を眺めていた。
智美の病室の窓からは、ちょっと遠くの方に一本の桜の木が見える。
この病院に入院した頃は満開だったあの桜の木は、もうすでに綺麗なピンク色をした花びらをすべて散らしてしまい、代わって緑色の葉を身に纏っていた。
季節は確実に変わり続ける。
誰にも止めることはできない。
いくら、今が止まって欲しいと願っても。そして、あの時に戻って欲しいと願っても。
ねぇ神様、もし、戻ることができるのなら、代わりにあたしは何を差し出せばいいですか?
直哉と出逢ったということも、歌手になれるということも、すべてなかった事にしてくれるなら、あの頃に戻してくれますか?
神様からの回答を、智美は心の中で少し待ったが、返事があるわけもなく、静かに時間はすぎてゆく。
…神様の………ばかやろう……
トン トンッ
誰かがドアをノックした。
そういえば、もう昼食の時間だ。
「はい、どうぞ」
ガラララー
あれっ?
智美の病室にやってきたのは、昼食を運びに来た看護士でもなく、はたまた見舞い客でもなく、今まで会ったことがない男の医者だった。
「こんにちは、清田さん」
男の医者はそう言うと、智美のいるベッドの前へとやってきた。
「あ……はい…」
なんだろう…なんか検査でもあるのかなぁ?
その男の医者は少し微笑むと、智美に向かって口を開いた。
「私、木下直哉さんの担当医をしている牧野といいます」
「!!」
その牧野と名乗る医者の言葉を聞いた瞬間、智美の体が硬直した。
直哉の……担当医!?なに…?直哉に何かが…?まさか…!
「はは、そんなにこわばらないで下さい。悪いニュースを伝えに来たわけではありません」
牧野は優しく微笑みながら、智美にそう言った。
え?ということは…もしかして直哉…
牧野は一度力強く目をつむると、智美に向かって話し始めた。
「未だに…意識は回復してはおりませんが…それでも危険な状態からは抜け出すことができました。もう、木下さんは大丈夫ですよ」
その瞬間、智美の体から、まるで目が眩む時のように力が抜け、そして、ゆっくり大きく智美は安堵のため息をした。
よ、良かった〜〜…あぁ……はぁ………直哉………あぁ…
気持ちが、うまく言葉にならない。
体に力が入らない。
「あ、ありがとうございます!本当に良かった。…あ〜〜〜〜…あぁ…本当に…本当にありがとうございます!感謝します!」
「いえ、すべては彼の生きたいという気持ちが強いからだと思います」
まだ意識が回復していないとはいえ、「最悪の結果だけは避けることができた」「回復傾向にある」という事実が、智美の心を少し元気づけた。
「本日から、木下直哉さんはこの外科病棟に移っています。彼にお会いになりたいですか?」
「え?」
直哉に…会える?
そう智美は思うと、段々、自分の心臓の鼓動が早くなってゆくのを感じた。
いったい、今、直哉はどんな状態なんだろう、痛々しい姿をしていないだろうかと考えると、楽しみというより怖いという感情の方が強くなってくる。
それでも、智美の心に迷いはなかった。
「是非、彼と会いたいです」
智美は、強い口調でそう医師に答えた。
「…分かりました。それでは、今、車椅子を持ってまいりますので、少々お待ちください」
「…はい。お願いします」
ガラララー…ガチャッ。
医師は車椅子を取りにゆくため、部屋から出て行った。
智美は目をつむった。
頭の中に、事故の記憶が自然と蘇る。
直哉におにぎりを食べさせようとした時、、突然、大きな音がして、直哉があたしの手を引っ張り、上から抱きついてきた。
「直哉?どうしたの?」と聞こうとしたが、その瞬間、まるで近くで爆弾が爆発したような、鼓膜が破れそうな大きな音と共に、衝撃が体を襲い、あたしは気を失った。
あっという間のできごとだった。あたしは何もすることができなかった。
目覚めたとき、まだ頭がボヤけていて、その時は自分たちに何が起きたのかが理解できなかった。気付くと血まみれの直哉が目の前にいて、直哉の携帯からセレクションの合格を知らせる音楽が流れていた。体を揺すって必死に直哉を起こそうとしても、彼は何も反応せず、ただ、あたしの体の上でぐったりしているだけであった。
突然、運転席側のドアが開き、2〜3人の男の人が「ガソリンが漏れ出している。危険だから外へ」と、あたしと直哉を抱えて外へと連れ出した。
彼らはあたしに水を与え、必死に直哉に「しっかりしろ」と声を掛けていた。
あたしは直哉のそばで、ただガタガタと震えながら「これは夢なんだ」願っているしかなかった。
気付くと、左足に激痛がはしった。その痛みで頭の中がクリアーになり、次第にこれは現実だということを認識し始めた。やがてパトカーと救急車が現れ、先に直哉が救急車に乗せられ、どこかへと連れて行った。その後、来たもう一台の救急車にあたしが乗り込んだ時、あたしはようやく、自分は直哉に助けられたということに気付いた。その瞬間、涙がどっと溢れ出し、あたしを乗せている担架のシーツを涙が濡らした。
その後、病院の医師から直哉は意識不明の重体と聞かされ、あたしの心には、まるで包丁が10本くらい突き刺さった位の激痛が走った。
医師の表情から直哉は予断を許さない状態というのが見て取れた。
それからはずっと…あたしは生きているようで、でも実は生きていないような感じがしていた。
あれから2週間が過ぎた。毎晩、布団の中で泣いた。
でも、直哉は助かったんだ。
……ははは、なんかまた泣きそうになってきちゃった。だめだ、なんか涙もろくなっちゃったかな…直哉の前では泣かないって決めたんだから、耐えなきゃ。
ゆっくりと、智美は目を開けた。目頭に溜まった涙で、視界が少しにじむ。
ガラララララ…
牧野が車椅子を持って戻ってきた。
「それでは、行きましょうか」
またまた、智美は窓から外を眺めていた。
智美の病室の窓からは、ちょっと遠くの方に一本の桜の木が見える。
この病院に入院した頃は満開だったあの桜の木は、もうすでに綺麗なピンク色をした花びらをすべて散らしてしまい、代わって緑色の葉を身に纏っていた。
季節は確実に変わり続ける。
誰にも止めることはできない。
いくら、今が止まって欲しいと願っても。そして、あの時に戻って欲しいと願っても。
ねぇ神様、もし、戻ることができるのなら、代わりにあたしは何を差し出せばいいですか?
直哉と出逢ったということも、歌手になれるということも、すべてなかった事にしてくれるなら、あの頃に戻してくれますか?
神様からの回答を、智美は心の中で少し待ったが、返事があるわけもなく、静かに時間はすぎてゆく。
…神様の………ばかやろう……
トン トンッ
誰かがドアをノックした。
そういえば、もう昼食の時間だ。
「はい、どうぞ」
ガラララー
あれっ?
智美の病室にやってきたのは、昼食を運びに来た看護士でもなく、はたまた見舞い客でもなく、今まで会ったことがない男の医者だった。
「こんにちは、清田さん」
男の医者はそう言うと、智美のいるベッドの前へとやってきた。
「あ……はい…」
なんだろう…なんか検査でもあるのかなぁ?
その男の医者は少し微笑むと、智美に向かって口を開いた。
「私、木下直哉さんの担当医をしている牧野といいます」
「!!」
その牧野と名乗る医者の言葉を聞いた瞬間、智美の体が硬直した。
直哉の……担当医!?なに…?直哉に何かが…?まさか…!
「はは、そんなにこわばらないで下さい。悪いニュースを伝えに来たわけではありません」
牧野は優しく微笑みながら、智美にそう言った。
え?ということは…もしかして直哉…
牧野は一度力強く目をつむると、智美に向かって話し始めた。
「未だに…意識は回復してはおりませんが…それでも危険な状態からは抜け出すことができました。もう、木下さんは大丈夫ですよ」
その瞬間、智美の体から、まるで目が眩む時のように力が抜け、そして、ゆっくり大きく智美は安堵のため息をした。
よ、良かった〜〜…あぁ……はぁ………直哉………あぁ…
気持ちが、うまく言葉にならない。
体に力が入らない。
「あ、ありがとうございます!本当に良かった。…あ〜〜〜〜…あぁ…本当に…本当にありがとうございます!感謝します!」
「いえ、すべては彼の生きたいという気持ちが強いからだと思います」
まだ意識が回復していないとはいえ、「最悪の結果だけは避けることができた」「回復傾向にある」という事実が、智美の心を少し元気づけた。
「本日から、木下直哉さんはこの外科病棟に移っています。彼にお会いになりたいですか?」
「え?」
直哉に…会える?
そう智美は思うと、段々、自分の心臓の鼓動が早くなってゆくのを感じた。
いったい、今、直哉はどんな状態なんだろう、痛々しい姿をしていないだろうかと考えると、楽しみというより怖いという感情の方が強くなってくる。
それでも、智美の心に迷いはなかった。
「是非、彼と会いたいです」
智美は、強い口調でそう医師に答えた。
「…分かりました。それでは、今、車椅子を持ってまいりますので、少々お待ちください」
「…はい。お願いします」
ガラララー…ガチャッ。
医師は車椅子を取りにゆくため、部屋から出て行った。
智美は目をつむった。
頭の中に、事故の記憶が自然と蘇る。
直哉におにぎりを食べさせようとした時、、突然、大きな音がして、直哉があたしの手を引っ張り、上から抱きついてきた。
「直哉?どうしたの?」と聞こうとしたが、その瞬間、まるで近くで爆弾が爆発したような、鼓膜が破れそうな大きな音と共に、衝撃が体を襲い、あたしは気を失った。
あっという間のできごとだった。あたしは何もすることができなかった。
目覚めたとき、まだ頭がボヤけていて、その時は自分たちに何が起きたのかが理解できなかった。気付くと血まみれの直哉が目の前にいて、直哉の携帯からセレクションの合格を知らせる音楽が流れていた。体を揺すって必死に直哉を起こそうとしても、彼は何も反応せず、ただ、あたしの体の上でぐったりしているだけであった。
突然、運転席側のドアが開き、2〜3人の男の人が「ガソリンが漏れ出している。危険だから外へ」と、あたしと直哉を抱えて外へと連れ出した。
彼らはあたしに水を与え、必死に直哉に「しっかりしろ」と声を掛けていた。
あたしは直哉のそばで、ただガタガタと震えながら「これは夢なんだ」願っているしかなかった。
気付くと、左足に激痛がはしった。その痛みで頭の中がクリアーになり、次第にこれは現実だということを認識し始めた。やがてパトカーと救急車が現れ、先に直哉が救急車に乗せられ、どこかへと連れて行った。その後、来たもう一台の救急車にあたしが乗り込んだ時、あたしはようやく、自分は直哉に助けられたということに気付いた。その瞬間、涙がどっと溢れ出し、あたしを乗せている担架のシーツを涙が濡らした。
その後、病院の医師から直哉は意識不明の重体と聞かされ、あたしの心には、まるで包丁が10本くらい突き刺さった位の激痛が走った。
医師の表情から直哉は予断を許さない状態というのが見て取れた。
それからはずっと…あたしは生きているようで、でも実は生きていないような感じがしていた。
あれから2週間が過ぎた。毎晩、布団の中で泣いた。
でも、直哉は助かったんだ。
……ははは、なんかまた泣きそうになってきちゃった。だめだ、なんか涙もろくなっちゃったかな…直哉の前では泣かないって決めたんだから、耐えなきゃ。
ゆっくりと、智美は目を開けた。目頭に溜まった涙で、視界が少しにじむ。
ガラララララ…
牧野が車椅子を持って戻ってきた。
「それでは、行きましょうか」
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